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早乙女和完(さおとめ わかん) 
三味線教授、唄歌い、三味線芸術家、三味線即興唄演奏家、三味線ロッカー。1958年生。時を越え、真実在を希求する、作詞作曲家。詩人。書家。画家。三味線教授。その三味線の音楽スタイルは伝統を継承して生かし使い、新しい三味線音楽スタイルを創造表現し続ける。自称、未来邦楽家。
最終学歴、1981年、和光大学人文学部文学科卒業。近代文学、現代詩、自由律俳句、シュールレアリズム美術等を専攻。卒論テーマ「時を越えて今尚響く、天才芸術家たちの生き方と表現、ゴッホ、ピカソ、尾崎放哉、大手拓次、バッハ、ロバートジョンスン、他多数」
幼少の頃より母、早乙女光子「杵屋延千輔(きねやのぶちすけ)」より長唄、端唄、小唄、などの細棹三味線の手習いをうける。その後、母の唄方の師匠、七代目人間国宝「芳村伊十郎(よしむらいじゅうろう)」へ師事、長唄の真髄を教わる。師急病のため途中断念し、後に三味線方、六代目「杵屋和吉(きねやわきち)」師事、長唄芸名を杵屋和完(きねやわかん)と成る。現在は現代三味線演奏家「山本普乃(ゆきの)」に師事し、よりさらに道なき道へのオリジナルな創作、表現活動を中心に、磨きをかけている。三味線歴40年以上。その三味線音楽活動は古く1980年代より多彩なジャンルのアーティスト達と既にオリジナルな表現活動に情熱を注ぎつづけ、その活動数は数知れず。SONY、プレステ「あわのうた」他多数発表。人はそんなアバンギャルドな和完を三味線界の孤高なる円空と呼ぶ。その得意とする三味線スタイルは古典三味線の歴史の型を生かし破り、瞬時創造するアドリブ即興演奏と即興歌は他を追随するものはなし、日本のアンダーグラウンドの三味線世界の極東に位置し続けるオリジナルな表現者である。
わが三味線演奏のゆくえ、わが三味線演奏の生き延びる道は教えよ!
私は幼少のころ、あれは10才ぐらい(小学5年生の頃)だったか、私の母、早乙女光子は素晴らしい細棹の三味線弾きであり唄歌いだった。毎日のように、私が小学校から下校し自宅付近になると桃畑の向こうから母が弾く、三味線の音色が聞こえてきて、それは言葉にできないほど美しく、桃畑の蝉のなきごえと三味線の音色と美しくハーモニーとなり、私の永遠のハートに深く鳴り響いていた、そんな体験を多々したことを忘れられなく。その三味線の音霊に導かれるように、気がつくと三味線を弾いていた。最初は門前の小僧のように、見様見真似で三味線を弾き、時々母から手習い指導を受けていた。いまでは、かたを学びそれにとらわれない、あの頃の蝉と三味線のハーモニーを追いかけているような三味線弾きとなった。三味線と言う楽器を使用して新しい作品、オリジナルな創造を生み出していこうと日々演奏、表現している。
どうか皆様、こんな私の三味線演奏が生き延びる道を導きたまえ!