1994年〜1990年

1994年12月20日
アメリカロサンゼルスに行く。

1994年12月05日
信濃町での月刊SPA出版記念会にて三味線を演奏、出演。

1994年12月 執筆コラム
KKベストセラーズおとなの特選街に日本文化論のコラムをレギュラーで連載。1994年12月より計12回。

1994年11月05日
ラフォーレ飯倉での「大倉庄之助」プロデュース「命のつどい」にて三味線を演奏、出演。

1994年10月30日
赤坂ライブハウスにて龍宮Band(津軽三味線)木下伸一と共演。

1994年10月08日
日光での原榮三郎プロデュース・アート・イベントにてエレクトリック三味線を演奏、出演。

1994年09月04日〜1996年02月まで計16回レギュラーにて出演 フライアー
月1回土曜日、渋谷クラブ円山にてゴッホ今泉プロデュースによるサロンイベント「デパートメントH」に出演

1994年08月20日 写真1オカリナ柴田 写真2
神奈川県逗子の海岸にて寿司屋「魚友」協力によりオリジナルイベント「和完夜会」をプロデュース、展開する。大成功をおさめる。

1994年08月06日 フライアー
小田原城にて能樂大鼓方「大蔵正之助(オオクラショウノスケ)」プロデュース、イベント三味線を演奏、舞踏家「玉野黄市(タマノコウイチ)」ハルピン派と共演。

1994年08月05日 フライアー  写真、原栄三郎と自宅にて
元「フィルモアFAR EAST」現在渋谷「クラブアジア」にて原榮三郎プロデュースによる「アート・イベント」にてエレクトリック三味線を演奏、エミ・エレオノーラ、キース(ベース)(Demi Semi Quaver)と共演。

1994年08月03日
六本木「マギーズ・リベンジー」ライブクラブにて金井一朱(ギター)と共演。

1994年07月15日
神宮前「マジカルパワー・ステーション」にてソロライブ展開。

1994年07月08日 掲載記事
週間アサヒクラブに「邦楽の音をひろめる三味線のゲリラ」としてグラビア6ページにわたり、特集記事として紹介される。

1993年06月26日
神奈川県日吉のYAMAHAにてエレクトリック三味線を演奏、出演。

1994年05月22日 フライアー 写真1  写真2
神奈川県逗子海岸での寿司屋「魚友」主催のアボリジニー・ディジィリデューの演奏会にてエレクトリック三味線を演奏、出演、共演。

1994年05月16日
西麻布クラブ「イエロー」での寺田創一 DjMixライブにおいてエレクトリック三味線を演奏、出演。

1994年04月14日 掲載記事
「B-ing」記事「和完」「お金にならない副業」として紹介される。

1994年04月29日 写真1 写真2 写真3
アメリカ・ニューヨークに渡米する。ニューヨークで活躍中のパンクBand「E-Trance」のレコーディングにKRAMERプロデュースにより参加、レコーディング。クラブ、路上、ライブハウスにてライブを展開する。

1994年04月02日
四谷東長寺にて和完長唄三味線教室の発表会を開く。大成功をおさめる。

1994年3月18日
芝浦クラブゴールドでの「アート・クラブイベント」にてエレクトリック・三味線を演奏、出演。

1994年3月12日
渋谷クラブ「円山」(まるやま)検番にて半玉「花代」の名披露めにて、芸者衆と長唄、端唄、小唄を演奏。

1994年2月20日
浅草検番にて若狭(わかさ)流古典舞踏会にて長唄三味線を演奏。

1994年2月11日
六本木キャラメルにて「ビートたけし率いるたけし軍団」の「秋山見学者」お笑い講演にてゲスト出演、演奏。

1994年01月29日
テレビ「OH! 目覚め de SHOW(am10:30)」「稽古はじめ」に出演、紹介される。  写真2

1994年01月23日〜12月まで計8回 フライアー
六本木クラブ「SHOGUN」にてオリジナル・ライブ・イベント「和完夜会」を展開。 写真2 写真3 写真4 写真5  写真6 写真7

1993年12月
六本木中国大使館にて、日中友好協会主催「日中親善会」で長唄三味線を演奏。
同月能楽太鼓方「大倉庄之助」主催、「命のつどい」赤坂ラフォーレにてエレクトリック三味線を演奏。

1993年09月
六本木某クラブでの「半玉花代(はんぎょくはなよ)」デビューライブにて、丸山の芸者衆と長唄三味線を共演。

1993年08月〜1994年7月まで計12回 フライアー1 フライアー2 フライアー3
渋谷クラブ「円山」にてゴッホ今泉プロデュース「F.B.I」クラブサロンにレギュラーとして計12回出演する。  
写真1 中央エミエレオノーラ、左ミストレス、カナ    写真2スティーブエトウ氏と 写真3 写真4 写真5

1993年05月〜計7回  フライアー
六本木キャラメルにて、オリジナル三味線ライブ・サロン「和完夜会(わかんないと)」を開始、様々なアーティスト達をブッキング・オーガナイズし、計7回展開する。

1993年05月 フライアー 
吉祥寺武蔵野文化会館にてオカリナ奏者「佐山二三夫」リサイタルに出演。

1993年04月 
四谷東長寺にて、即興演奏と古典の会を開く。三味線、唄(和完)、笙(田島)、小鼓(山本)、笛(佐藤)。

1993年03月9日
新宿歌舞伎町クラブ「MC1000」にて、エジプトより帰国のベリー・ダンサー「小松 芳(かおる)」のリサイタルにて、ベリー・ダンスとエレクトリック三味線演奏を共演 写真2小松芳

1993年01月 掲載記事
東京ジャーナル誌にて、東洋と西洋の扉をあけるアーティストとして紹介される。

1992年12月13日(日)
川崎市立労働会館にて「川崎邦楽連盟」主催の「長唄演奏会」に出演、吾妻八景を唄う。
唄、「杵屋和完」「杵屋勝智次」「松永鉄千鶴」三味線、「杵屋和京」「柏原文子」上調子「杵屋勝芳歌」

1992年09月〜1993年06月 フライアー 
東京都港区赤坂「乃木坂DEEP、ディープ」ゴッホ今泉氏のプロデュースによるクラブサロンイベント、「パープルピット」に、月1回約1年間レギュラーとして唄と三味線を演奏しつづける。   写真2は「ゴッホ今泉氏」三味線「小河原隆」   写真3 ギター、なぜか三味線を持つ「金井一朱   写真4ホステスダンサーは「梅ちゃん」「さっちゃん」

1992年06月 フライアー
東京都港区六本木「キャラメル」にて、プロデューサー「岡成秀起」神風金助事「ゴッホ今泉」のイベント名「U235漆黒夜会、アンコクナイト」に出演。ユニット名は「幻の音玉達磨(まぼろしおんぎょくだるま)」、唄、三味線「和完」笙、しょう「田島」三味線、ギター「小林ひろし」他。

1992年4月25日
六代目家元「杵屋和吉」襲名の会「国立劇場」にて演奏。  
写真2は演奏会に来場していただいた友人、和完の左は生命体倶楽部、会主「寺菴徹」オリジナルユニット、右は幻の音玉達磨のメンバー、「小林ひろし」

1991年11月
TBSテレビ「三宅祐司の天下ご免ね」に出演。唄と三味線を演奏、オリジナルを唄う。楽器 (るすいしょう)を共に共演するのが、写真の右の(吉口氏)  写真2

1991年4月〜1992年3月
四谷東長寺にて、世界の民族音楽30種類の演奏家達とアンサンブル・プロジェクトを結成し、声明(しょうみょう)音楽「般若心経」とミックス演奏会を4回展開。当時のメンバーは、ウードの「常味裕司」、フラメンコカンテの「加藤直次郎」、琴の「仲林光子」、シタールの「辰野基康」他多数参加。

1991年3月〜 寺子屋教室案内フライヤー
四谷東長寺にて長唄三味線教室を寺子屋教室として長期4〜5年展開することになる。

1991年4月頃より、現代の都市空間及び都市屋外空間にて、三味線の音色、音質、旋律の響きが都市の音と どのようにミックスするかを研究し、新宿伊勢丹前、ゴールデン街、渋谷ハチ公前、銀座路上 等にて演奏を1年間展開する。

1990年
サウジアラビア大使館晩餐会にて演奏。




1958年〜1989年 1999年〜1995年